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の傳說として存在するものとも見るを得べく或は之れを(二)各人の心底に宗敎上直接に實驗する所のものとも見るを得べし。約言すれば此の二つのものは敎會の制度、敎理、信仰、傅說として存在するものと各人の主觀に直接に意識し實證するものとにして、是れさきにアウグスティーヌスに於いて相交錯して存在せりしものなり。前者を取りてその道理に合へることを示さむとしたるが是れ嚴密なる意味に謂ふスコラ哲學にして、後者に立脚し專ら各人直接の宗敎的經驗に基づきて說を立てむとせるものは神祕家なり、盖し中世紀哲學に於いては嚴密なる意味に謂ふスコラ哲學の傍に神祕家の流れの存在するを認む。中に就きスコラ哲學こそ中世紀思想の主要の部分を成すものなれば、一言に之れを中世紀哲學と稱することあり。
今云へる如く嚴密なる意味に謂ふスコラ哲學の傍に神祕者流の在りし外に尙ほ多少自然科學めきたる硏究に心を用ゐたりし學者もありしが此れは他の流派に比しては極めて微少なるものなりき。倂しながら後スコラ哲學の衰微し破壞するに至り却つて大に其の頭を擡げ來たり因りて以て學問界の面目を一新するに