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かに吾人に於ける精神及び物體の方面を分かちて三となせり。一は肉體(ὕλη)一は生氣(ψυχή)一は心靈(πνεῦμα)是れなり。グノスティック宗徒は此くの如く物質を卑しみたる所より此の世に降りたる基督は眞實の肉體を具へたるにあらずして唯だ肉體を具せるかの如く吾人に見えたるのみなりと唱へたり。斯くの如くグノスティック宗徒は凡べて物質を惡しきものと視またデミウルゴスと萬物の太原とを別かちたるのみならず其の太原より段階をなして世界の發出することを說けり。其の發出を說く趣は其の流派によりて同一ならざれども凡そ或種類の發出說は彼等に通じたるものなり。

グノスティック宗徒の中其が敎說の組織の最も見るべきは次ぎに揭ぐるバシライデース及び殊にヷレンティノスの所說なり。

《グノスティックの發出論。》〔六〕彼等は舊約書の神を以てデミウルゴスとなし之れを吾人の名づくべからず、知り得べからざる天地の太原即ち神と區別せり。此の名づくべからず知るべからざる萬物の太原より永久の勢力二つづつ一對をなして發出す。此等の勢力をアイオーネス(αἰῶνες)と名づく。第一に出でたるはヌウスと眞理(ἀλήθεια)とにし