Page:Onishihakushizenshu03.djvu/393

このページは校正済みです

ニアに哲學者の市府を建て之れをプラトノポリスと名づけ哲學者をして茲に沈思冥想の塲所を得しめむと企てたれど實行せられずして止みき。プローティノスの著作は其の弟子ポルフィリオス編輯して之れを後世に傳へたり。プローティノスはいたくプラトーンを尊敬し自ら其の敎義を祖述すと云ひしが實に彼れが哲學の骨子を成せるはプラトーンの思想なりき。是れ此の學派の新プラトーン學派と稱せらるゝ所以なり。プローティノスはアリストテレース以後の最も大なる思想家にしてまた希臘哲學の最後の偉人なり。

《プローティノスの根本思想は發出論なり。》〔三〕プローティノスの根本思想は、已にフィローンの哲學にも見えたる如く媒介者を說くことによりて二元論の困難を救はむとするに在りき。プラトーンもアリストテレースも遂に二元論の立塲を脫すること能はざりしは曾ても述べしが如し。而して該の二元論は新ピタゴラス學派等の所說にも神明對物質といふ形を取りて傳はれり。プローティノス以爲へらく、萬物の太原より漸々不完全なるもの發出し、其の極端に於いては遂に最も不完全なるもの即ち消極的(絕對の太原に對して消極的)のものとなり了はる、是れ即ち物界なり現象の世界なりと。即ちプ