Page:Onishihakushizenshu03.djvu/390

このページは校正済みです

生活を送らむは吾人の獨カもて爲し難き所なれば神明の助力を仰がざるべからず。信神の心は智惠を來たし智惠は德を來たす。

《其の出世間的方面とエクスタシス。》〔一二〕フィローンの道德をいふや其の著眼の點は吾人の社會的行爲にあらず寧ろ出世間的方面にあり。換言すれば彼れは德行を人倫の關係に於いて見るよりも寧ろ宗敎的瞑想の方面に於いてしたり。吾人の精神の最も高等なる狀態は形骸を忘れて直ちに神明に接したる所に在り。此の狀態は步を追ひて探り行く推理によらず頓悟によりて得らるべきものなり。これは直接に神明の光に照らさるゝ時に於いて吾人の達し得べき狀態也。フィローンは此の狀態をエクスタシス(ἔκστασις)と名づけたり。此の狀態に於いて吾人は意識的思想作用の上に出でて神明と契合す。アリストテレースが希臘思想の立塲にありて吾人の精神上の究竟樂と見たる理智を以て靜かに眞理を觀ずる狀態はフィローンに在りては宗敎的瞑想に進み入りて心身を忘脫するエクスタシスとなれり。


第二十一章 新プラトーン學派