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表者なるが猶太の宗敎思想に希臘哲學を混和したるアレクサンドリア府のフィローンの哲學は新プラトーン學派の前驅として最も注目すべきもの也。フィローン(紀元前三十年頃より紀元後五十年頃に至る)は猶太人にして當時猶太の宗敎思想とプラトーンの哲學を始めとしアリストテレース學派及びストア學派等の希臘哲學思想とが相混じつゝありしアレクサンドリアに生まれたり。

フィローンが哲學の根本又中心は神といふ觀念なり。以爲へらく、神は凡べて限りある者を超絕す、故に吾人の想ひ設くる所は以て能く神の何たるかを現はすに足らず、彼れの圓滿なることを現はすべき名なし、彼れは凡べての完全なるものよりも更に完全なるものなり、彼れは名づくべからざるものなり、吾人は唯だ彼れを有(τὸ ὅν)即ち絕對的存在と云ひ得るのみ、吾人は彼れの何たるを形容すること能はずと。フィローンは猶太敎に謂ふ語を用ゐて神は即ちエホバなりといへり。此くの如く神は凡べてのものを超絕せる絕對者なるがまた之れと共に萬物の淵源なり、萬物は皆神より出でたり。斯くフィローンが哲學の根本には神を超絕的のものと見ると超絕的の神を萬物の淵源と見るとの二つの思想相結合せり。然らば萬物