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の精神は一般の人民をして靡然として宗敎に傾かしめたり。新宗敎として後に大勢力を振るひ遂に羅馬の社會をおほふに至りし基督敎も當時の勃々として抑へ難き宗敎的精神より生まれ出でしものに外ならず。當時諸種の宗敎のみならず東西諸種の思想の市塲ともいふべきは埃及なるアレクサンドリアなりき。後期の哲學思想は此處を中心とせり。

かくの如く東西の思想が入り亂れて其の中に發生したる宗敎時代の新產物は分かちて二類となすを得。一は希臘哲學思想が東方の宗敎思想に近づきたるものにして其の最好代表者は新ピタゴラス學徒及び宗敎的プラトーン學徒と稱せらるゝものなり。一は東方の、殊に猶太の宗敎思想に希臘思想を加味したるものなり。希臘思想といふ中にも哲學的方面ならずして寧ろピタゴラス盟社などに存せる禮拜及びそれに附隨せる觀念と猶太敎との結合より生じたるものにはエセネ宗の如きあり。哲學史上吾人の注意すべき價値あるは希臘の哲學思想(主としてプラトーンの哲學)を取りて猶太の宗敎思想に神學的組織を與へむと試みたるものにして、其の最大なる代表者はフィローンなり。以上列擧せるものを總括して