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に死せり)によれり。ティモーンは書を著はすこと多かりきといふ。ピルローンの徒を懷疑學徒とはいふものから其の執る所懷疑說にして天地と人生とに關する知識(攷究)を拒否せしなれば他の四大學派(プラトーン、アリストテレース、ストア及びエピクーロスの學徒)が團體を結びて講學に從事したりしとはおのづから其の趣を異にせり。

《其の懷疑說。》〔二〕ピルローンの懷疑說は畢竟ずるに吾人の知覺の一切關係的なることを以て其の根據となしゝが如し(是れ已にプロータゴラスの說に出でたるもの)。以爲へらく、吾人が事物を知覺すといふも眞實知覺する所は事物そのものの狀態にあらずして唯だ其の事物が其の塲に吾人に對する關係に於いて吾人に現はるゝ樣のみ、故に凡べての塲合に通じ凡べての人に普遍不易なる眞理といふが如きものあること能はず。吾人の感官といひ理性と云ひ共に個人の主觀の上に止まるものにして吾人は何事をも「然り」と斷言すること能はず唯だ吾人に「しか見ゆ」と云ひ得るのみ。故に吾人の正當に爲すべきことは凡べて判斷を止むること(ἐποχή)是れなり。凡べての世說といひ風儀といふものも畢竟ずるに世人が自ら造