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あり。然れどもこれに比して更に價値あるは苦痛なくして安靜なる狀態の快樂なり。如何にして之れを得べきか。これを得むには欲望を燃やさず心を騷がさず寧ろ寡欲にして足ることを知るべし。エピクーロスは吾人の需要を三種類に大別して曰はく、一は自然に具はりて生活するに缺くべからざるもの也。二は自然に具はりたる者なれど止むを得ざる場合には缺くことを得るもの、これを滿たすは吾人の幸福を增す所以にして敢て之れを壓抑するを要せず。三は吾人のわざと造り設けたるものにして足ることを知るの安きを得むには之れを棄てざるべからずと。ソフィスト等が已に說けりし自然と人爲との對峙が穩かなる形を取りてこゝに存するを見るべし。(尙ほこれをストア學に所謂自然に從ふ生活と比較せよ。)かくの如くエピクーロスは敢て積極的快樂を取ることを排斥せずこれを以て吾人が幸福の一部分となせど其の重きをおける所は個々の歡樂を盡くす所にあらずして寧ろ生涯を通じたる安靜なる狀態にあり。以爲へらく、かゝる安靜なる生活を送らむには心を外物に繫ぐべからず、外物の如何に變動するにもかゝはらず我が心がその上に卓絕して自己の中に破るべからざる滿足を覺ゆるやうにすべ