Page:Onishihakushizenshu03.djvu/348

このページは校正済みです

分結合されざるものあるを見る。

ストア學徒はかくの如く理性を宇宙の道と見、吾人はこれを規範として之れに從ふべきものなりとしたる所より吾人の現に在るさまと當に在るべき樣との對峙いちじるくなり隨うて義務てふ觀念は希臘の倫理思想の中に就きストア學派に在りて最も明らかになりまた道德の法則てふ觀念も甚だ力あるものとなれり。而して吾人を導きて此の法則に從はしむるは知見の働きなりとし有德の生活は知見によりて生じ不德の原因は無知に在りと說けり。是れ正さしくソークラテースの學脈を受けたるもの廣く云へば希臘倫理思想の根本の趣を傳へたる所なり。ストア學派はかくの如く知見に重きを置くと共に又吾人の意志に重きを置けり盖し彼等に取りては悟了は意志の作用に外ならねばなり。曰はく、外物に價値を置くと置かざるとは吾人の意志のそを欲すると欲せざるとによる、如何なるものを善しとするかは意志の自由に在り、意志の斷定は吾人の心の其の物に惹かるゝか否かを定むるもの、貧富、貴賤、生死の如きは吾人の意志の持ちやうによりて之れを無記のものと見ることを得。