Page:Onishihakushizenshu03.djvu/340

このページは校正済みです

士の氣風にかなひたるは其の一原因ならむ。而してストア學は羅馬の學者間に於いては更に益〻實際的傾向を帶び來たりて哲學上の組織的又理論的硏究よりは寧ろ通俗の道德論を主眼とするに至りまた之れと共に漸く宗敎の趣味を加へ來たりぬ。一般思想の潮流が宗敎時代に近づきつゝあることは此の學派の變遷にも明らかに見るを得るなり。羅馬のストア學徒中にて最も有名なるはセネカ(ネロン帝の師傅、紀元前五年頃より紀元後六十五年迄の人)、身奴隸より起こり後にストア學者として時人に敎を垂れたるエピクテートス(紀元後六十年―百二十年頃の人)、及び羅馬ストア學派の華と云はるゝ明君マルクス、アウレリウス、アントニーヌス(紀元後百二十一年―百八十年)なり。

《ストア學派硏究の主眼は倫理道德にあり。》〔二〕前に述べし如くストア學派は時代によりて變遷あれども其の學說を組織することに於いて最も力ありしはクリシッポスなりと云はざるべからず。今ここには成るべく廣くストア學徒に通じて哲學上其の主要の思想と見るべきものを取るべし。希臘ストア學者の著書多くは失せて今遺存せるは槪ね羅馬ストア學者の著作なるを以て其の原初の學說は歷史的著述によりて考ふる外なし。