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見えず。次ぎにストアの學說を大成し浩澣なる著作をなして此の學派を擴張しそを當時の學界の大勢力となしたるはクリシッポス(二百八十年―二百〇六年)なり。クリシッポスなかりせばストアはあらざりしならむ。

ストア學派の所說は大に當世の需要に應ずるものなりし故に、啻に倫理學說の上に於いてのみならず實際人心の修養上に與りて大に力ありき。ストア學は當時に大勢力ある一の學風を成したり。然れども其の主義を擴張して多數の人々を感化せむには此の派最初の所說は餘りに嚴に過ぎて融通し難き所あるを以て其の圭角を去りて世間實際の用に適せしむべき必要を感じ而して此の必要に從ひて此の學派を更に當世に擴張してストアの名聲を高め羅馬に於けるそが不拔の根據を据ゑたるをパナイティオス(西紀前二世紀の中頃の人)とす。ストア學派は彼れに於いて一步を轉じたりと稱せらる。ポシドニオス(西紀前百年頃の人)に至りては折衷的傾向更に著るくなれり。

羅馬の帝王時代にはストア學は盛んに其の首都に行はれき。希臘哲學の中、羅馬に於いて最も確乎たる根據を得たるはストア學派なり。其の所說の頗る羅馬志