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デアを排斥して內在的のものとなせるアリストテレースは萬物の圓滿なる極致を說くに至りて遂に超絕的存在を許すこととなれり。また彼れは事物の實相そのものが漸次に實現さるといふ進化哲學を說きたれども萬物の第一原因なる神を說くに至りては遂に不變化に自存するものを說くこととなれり。盖し彼れは唯だ動き行く物をのみ說くに止まること能はずして更に其の動き行く物の存在する所以の根原を探り遂にこゝに圓滿なる神を說き出だせるなり。


物理哲學

《萬物は神に向かひて進む。》〔二三〕前に述ぶるが如く萬物は圓滿なる神を極致とし之れに向かひて進み行く、神は即ち原始の相にして萬物は皆其の相を現ぜむとするもの也。然れどもアリストテレースは時間上天地萬物の生起せる始めありといふにはあらず。相と素とが無始無終なるが如く天地萬物はた無始無終なり。又運動も無始無終なり、そは運動の生滅は唯だ運動によりてのみ考へらるべければなり。世界はその廣がりに於いては一つの圓かなる形を成す。アリストテレースの與へたる定義