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こと及び偶然なることの原因を以てせり。而して斯かる故を以て生ずる槪念上定むべからざるもの(συμβεβηκός)即ち全く偶然なるもの(αὐτόματον)に關しては吾人は學理的知識を有すること能はず、即ち事物の生起する所以を理學上硏究すと云ふも其の單に個々なる邊は學理を以て定むべき限りのものにあらず。

かく相の外に素を說いて前者に對して多少の障礙を呈するものとせる所よりしてアリストテレースは又自然界に於いて善美なる目的に適ひ居る事柄の外に唯だ機械的に生ずる事柄あるを許せり。盖し善美なる目的を實現せむが爲めならずして唯だ機械的に生起する事柄の存する究竟原因を以て素に在りと見たるなり。彼れはこゝにデーモクリトスの世界觀を取り入れたり。デーモクリトスが事物生起の因由を說くや唯だ其の事物に先在せる狀態のみよりせむとしたり、即ち事物の起こるは其れに先だちて存在せし狀態の結果たるに外ならずと見たり。プラトーンは之れに反して事物の生起を說くに其の當さに成るべき極致の狀態を以てし、かゝる狀態にならむが爲めに事物は存在すと說けり。アリストテレースは此の二說を攝取したれども、其の世界觀の重きはもとより目的說の方面に在