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ヘーラクライトスの所說とを攝合して一實在界に纏めたるなり。
《素は潛勢、相は現勢なり。》〔一五〕以上の見解よりしてアリストテレースは素を潛勢(δύναμις)、相を現勢(ενέργεια)と見たり。即ち素と相とは同一物の將さに成らむとする或は成り能ふと其の成り了はるとの關係に外ならず、語を換ふれば一物が潛勢の狀態より現勢の狀態に移り行く彼れと此れとの段階を云ふに外ならず。譬へば桃の種子は素にして桃の萌芽は相なり、されど桃の萌芽は桃樹の成り上がれるに對すれば素にして成り上がれる桃樹は相なり。斯く一物が其の潛勢の狀態より自ら現勢の狀態に開發し行く所是れ即ち變動(κίνησις)の存する所なり。斯くアリストテレースはプラトーンの唱へたるイデアと非有との二元論を變じて相離れざる(寧ろ一物の發動し行く段階に名づくるに外ならざる)素と相との一元論に改造せり。即ちプラトーンの謂へるイデアはアリストテレースに於いては相となり〈相即ちアイドスと云ふ語は是れプラトーンの用ゐたる所のものなり〉前者の謂へる非有は後者に在りては素となり前者に於いて其の相離れたると異なりて相離れざるものとなれり。
《四因の論。》〔一六〕アリストテレースは更に詳らかに事物の變動し行く所以を分析して