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て其の中更に上下の區別あり。下なるは物欲(ἐπιθυμητικόν)にして上なるは氣慨(θυµοειδες)なり。氣慨は恰も理性と物欲との中間に立てども物欲と共に肉體に屬し肉體を離れて存するものに非ずと。

《其の倫理說の二面、解脫的方面と倫理的方面。》〔二五〕かくの如く吾人の現世に在るや吾が精神的作用に兩面を具して一は理想界に向かひ他は肉體に繫がる。是に於いてプラトーンの倫理說に二つの方面を生ず。一は解脫の方面、即ち肉身及び肉身に屬するものの覊絆を脫して只管に理想界に上るの方面にしてこれにはおのづから厭世的傾向の存するを見る。プラトーンが哲學の一面に形骸を卑しみて解脫を求むる傾きの存在することは明らかなり。然れども其の道德論は此の解脫的方面のみを以て成れるにあらず、また希臘思想の特質なる美術的趣味を帶べり。此の方面より見れば彼れの道德論は吾人の享け得たる諸能(即ち吾人の性)を全うしそを宜しきに從ひて發達せしめ吾人の生活に優美なる調和を現ずるを要すとなす。即ち彼れの思想よりすれば一見ひたぶるに形骸を脫することを求むるが如くなれどまた必ずしもしか說くを要せず、そは肉體を棄てずして却つて吾人の生活にイデアの現ぜむことを力