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くる方法なるが之れと共にプラトーンが相離さずして又新たに明らかに自覺して用ゐたりしは槪念と槪念との關係を見、其の合ふと合はざるとによりて之れを分かち行く方法是れなり、之れを約言すれば是れ即ち槪念の組織を形づくる方法にして以て如何なる槪念が同列に位して自他の差別をなし、如何なる槪念が上下の關係をなして一が他に屬するかを見むとするなり。例へば植物と動物とは其の間に同列の關係あるが故に相互に自他の差別をなして植物は動物にあらず動物は植物にあらず然れども共に生物に對しては上下の關係をなして植物も生物なり、動物も生物なるが如し。
《槪念的知識即ち眞知識なり。》〔七〕かくの如き槪念の組織を形づくる是れ即ち吾人の知識を形づくるなり。斯くの如き知識は事物の遍通不易なる本質(οὐσία)を得るものなればプロータゴラスの說くが如き念々刻々に變はり行く五官の感覺とは異なり。プラトーンの論ぜむと欲する所はかくの如き槪念的知識が是れ即ち眞知識にして五官の感覺は眞知識にあらずといふことにあり。おもへらく、感官上の知覺(αἴσθησις)は變化生滅の世界に懸かれる一時々々のものに過ぎず以て遍通不易のもの即ち事物の理法