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ず。德修まりてしかも不幸なるものある可からず。此の善福(εὐδαιμονία)といふ觀念は爾後の希臘倫理學に於ける主要なる思想となれり。

以上述べし所によりて觀るにソークラテースの道德論には二方面ありといふを得べし、即ち一は知見を以て德行の根本となせる智力的方面にして他は德行と幸福とを決して相離れたるものにあらずとなせる利福的方面なり。と又とは彼れの思想にありては常に相交錯して離れざりしなり。而して此の二觀念はやがて希臘の倫理思想全體を貫通せるもの也。

《國法の義務に關するソークラテースの所見。》〔十二〕ソークラテースは尙ほ一步を進めて精しく善の何たるかを說明することなく其の倫理說も嚴密に學理的に組織さるゝに至らず寧ろ個々實際の場に應じて必要なる諸德を說くに止まれり。中に就きて節制、克己、正直、友愛等の諸德は彼れの性行と敎訓とを以て最も熟心に唱道せし所のものなり。彼れが理想の最も美はしく高き所はプラトーンの書に就いて見るを得。クセノフォーンの書にはソークラテースを專ら實際的、實用的の人として描きたる傾きあれどプラトーンは彼れの理想的生活を描寫せり。彼れが善美(καλοκἀγαθός)を追慕する熱心を以て