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物に就いて知れる所漠然たりといへども亦全く知れる所の無きにもあらず、是れ眞知識を形づくるの素地を具へたるものにして吾人は皆正當に思索すれば事物の槪念を發見するを得。ソークラテースは曰へり、我れが他人を敎ふるは唯だ彼等を助け彼等をしてみづから智識を開發せしめ自覺せしむるに外ならずと。彼れは之れを己が母親の業に譬へて「產婆術」といひき、即ち他をして智識を生み出ださしむる助力をなすものに過ぎずの意なり。


《善とは何ぞや。》〔九〕ソークラテースはかく德を行はむとせば德の何たるかを明知せざるべからずと考へ而して其の明確なる知識を基礎として社會の改善を圖らむとせり。一技藝といふとも其れに關する明瞭なる智識を有せずば之れを爲す能はず。家を造る術を知らずしては工匠の業を全うする能はざるべく、一家を調理し一國を治むる亦之れに關する明確なる智識を必要とす。明確なる智識なくして行爲するは盲目的作動のみ眞の德行とはいふべからず。勇の勇たる所、義の義たる所を明知せずば如何でか勇を振るひ義を行ふを得む。されば吾人は凡べての行爲の趨向すべき正當の目的を知らずば正當に行爲する能はず、而して其の如き凡べて