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究法」といふ。かくて其の物の其の物たる遍通不易の所を明らかに看取しこれが槪念(λόγος)を得これに定義を下すに至りこゝに始めて其の物の眞知識を得たりと謂ふべし。

ソークラテースは別に硏究法を硏究法としては說かず、唯だ是れは彼れが問答の仕方としておのづから其の論談に具はれりしものに過ぎず。故に史家が彼れの歸納法と稱するものも固より近世論理學者のいふ所のものの如く精しからず。又彼れ自ら件の方法によりて明らかなる槪念を多く作り得たりしにもあらず。さばれ兎に角彼れが其の如き硏究の道を示し之れを實行せむとしたりしは後世の學術のため其の問題を揭げたるものと謂ひつべし。一種類の諸多の事物を統括する槪念を明らかにし其の定義を下すといふこと是れ後世の學術の忘れ得ざる所なり。ソークラテースが槪念的智識を唱道したりと或史家のいふはこれをいへる也。

《ソークラテースの「產婆術」。》〔八〕上述の槪念を造るにソークラテースは對話を用ゐたり。問答によりて槪念を形づくる術是れ彼れが眞理を發見する方術なりきといふべし。吾人の事