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《ソークラテースの反詰法。》〔六〕彼れが知識を求むる法はまづ人と對話するにあり。對話によりて彼れは自己を知らむと力めたり。然らば彼れと對話せし者は能く彼れを敎へ得しか。否、彼れと論談を接ふる後は自家撞著に陷りつひに亦自己の無知なるを吿白せざるを得ざりき。彼れが步々對手を論じつめてつひに之れをして呆然自失の窮地に至らしむるの技倆は實に驚くべきものありき。史家或はこれを名づけて「ソークラテースの反詰法アイロニー」といふ、盖し彼れを敎へむとて來たりしものをして反りて自己の無知なるを自白せしむるをいへる也。これ彼れが學を講ずる消極的方面即ち知らずして知れりと思へるを破るの方面なり。

《ソークラテースの歸納的考究法と其の觀念的知識。》〔七〕かく對話により他が其の無知を白狀するに至れば即ち曰ふ、然らば乞ふこれより相共に智識硏究の途に出立せむと。かくして彼れと論ぜるものは何人も彼れに耳を傾けざるを得ざりき。さて彼れは如何にして智識開發の途に出立するぞといふに、先づ多くの事柄を取り來たり之れを比較對照して其の物其の事をして其の物其の事たらしむるものは何ぞやと問ひ以て其の事物の遍通不易なる所を看取せむとしたり。故に哲學史家或は之れを「ソークラテースの歸納的考