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が爲すを好まざる所なりとてつひに從容として毒杯を傾けて逝けり。

ソークラテースの性行及び學術を知らむには主としてクセノフォーンの『紀念錄』とプラトーンの『對話篇』とに據らざるべからず。前者は其の師の傅記性行を記するに詳かにして其が學術及び深奧なる思想を記するに疎なり。後者は其の錄せるところ如何ほどまでソークラテースの自說又事蹟にして、如何ほどプラトーンの自ら潤色し理想化せる所なるかを見わけ難し。ソークラテースは書を著はしゝことなし。

《德行の根據は知識にあり。》〔三〕ソークラテースは物理天文等の硏究を措き專ら人間の善福の何にあるかを究めむとしたり、即ち倫理道德の硏究是れ彼れの主眼となしゝ所なり。彼れは謂へらく、吾人の行爲は各自の悟了せる所に從うて爲さざる可からず各自の判斷力を用ゐずして唯だ傳說習慣に盲從するは未だ眞の德行と云ふべからず。知らずして爲すは假令中たることありとも偶中のみ、德行の根據は知識にありと。斯くソークラテースが各人皆みづからの眼識によりて知了し判斷力によりて是認したる所に從うて行ふを要すと曰へるはソフィストの主觀說に許せる所ありと