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メリッソスは專ら多元的物理學派に對してパルメニデースの學說を辯護せむとしたりしが、しかすると共に多少物理派に假す所ありきとてアリストテレース以來哲學史家は多く彼れを非難せり。然れども其の據りて立つ所は要するにエレア學說なり、而して其の立脚地を離れたるところ亦彼れのために辯ずべきふしなきにしもあらず。彼れはパルメニデースを祖述して實有のものは不生滅、不變化、平等一如なりと言ひしが、エレア學祖と異なりて實有の體は無窮なり無堺限なりといへり。又彼れはを空間に限り無く廣がれるものと見たるのみならず之れを以て時間に窮まりなく存在するものとなしたり、そはは生じたるの始なく滅するの終なければなり。斯くメリッソスが有を空間幷びに時間に無際限に存在する者と見たるはアナクシマンドロスの思想(ト、アパイロンを說ける)を雜へたるものなること明らかなり。此の點に於いて彼れはパルメニデースが有を自足完了せるものとなし無際限の過去未來をいはず其の存在には唯だ恒の今あるのみとなせると其の見を異にせり。

史家或はメリッソスが斯く有を無限に廣がれるものなりと言へるを見て其の思想