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なしといふにあり。然れども又彼れはエムペドクレースと同じく此の世界に雜多變動の眞に存することを否まず、不生不滅なる數多の原物ありてその集合し離散するによりて諸物は或は其の形を成し或は其の跡を沒すと說きたり。曰はく、世に生あり滅ありとヘルラス人の云ふは誤れり、そは一物として生ずるなく滅するなく、唯だ本來在る物の相混じ相離るゝに過ぎず、故に正しくは生を混合といひ滅を離散といふべしと。然れどもエムペドクレースは不生不滅の原物は唯だ地、水、火、風の四種なりと說きたれどアナクサゴーラスは本來性質を異にする無數のものありと說きたり。彼れは天地萬物の千態萬狀なるを見て本來性質上千種萬類の物あるを要すと思惟せしなり、こは思ふにエレア派の根本思想を物の性質に適用して本來無き性質の新に生ずべき理なく現存する性質は實に太初より在らざるべからずと考へしに出でたるものならむ。アナクサゴーラスは此の性質上有差別の原物を名づけてスペルマタ(σπέρματα)又はクレーマタ(χρήματα)といへり、種子といふ義なり。一種類の種子は如何ばかり之れを分割するも又之れを集合するも其の一部分の性質と他部分の性質との間に差異を呈することなし。黃金は如何