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いてかエムペドクレースは彼等の外に之れを動かし離合せしむるものなかるべからずと見て,愛憎の二動力を說き來たれり。愛は諸元素を混和せしめ憎(又は爭)は諸元素を離散せしむ。愛を說きては曰はく「死し果つべきもの皆知れり生來愛ありて彼等を互に近つかしめ一致せしむることを」「ただ彼等は知らず此の愛が全宇宙を通貫するものなることを」と。愛憎といふ語の詩歌的なる嫌ひはあれど兎に角動かさるゝ物動かす物とを截然相分かち相對せしめたるは彼れを以て嚆矢とせざるべからず。其のこれを愛と憎との二に分かちたるは一は以て元素の混和一は以て其の離散を說明せむがためなるは疑ひなきことなるが、又これはヘーラクライトスの唱へたりし反對の傾向の相爭ふといふ說と思想上多少の關係を有せるものならむ、但しエムペドクレースが愛の作用を善と見、憎の作用を不善と見たる點はヘーラクライトスの說と同じからず。

上陳せるが如くエムペドクレースは地水火風に對して之れを動かす愛憎を說きたるが、彼れに取りては其の謂ふ愛憎の二動力も決して全く非物質のものにはあらず地水火風の四元素と共に空間に存在する物なり。故に古代の學者中には彼れ