Page:Onishihakushizenshu03.djvu/109

このページは校正済みです

べきが故に甲乙兩者の間に限りなく多くのものの挾まれ得と考へらるべし。然れども又限りなく小なる空間は分量なきものなるべければ如何にして斯く分量なきものより分量ある空間の成立すべきかを考へがたし。これ實に空間を思想する上に於いて困難の存する所なり。難動の論も亦空間幷びに時間の限りなく分かたるべきことに基づけり。移處と云ふことを許さば空間幷びに時間の限りなく小さく分かたるゝことを許さざる可からず。或は言はむ、飛矢不動の論の如きは一物が極めて小なる時間に動き得るは極めて小なる空間に過ぎずといふことを證するに足れど極小ならざる時間(即ち若干の分暈ある時間)に甲點より乙點へ動き得ずといふことを證するに足らずと。然れども假りに一瞬間毎に空間の一點づつを通過すと云ふことを許すも是れを以ては同じき分量の時間に或は多き分量の或は少なき分量の空間を通過すと云ふことを說明すべからず。之れを要するに限りなく小なる時間が積んで如何にして分量ある時間をなすか又限りなく小なる空間が相集まりて如何にして分量ある空間をなすかと云ふこと是れヅェーノーンの提出したる難問なり。畢竟するに時空の限りなく分かたるべきことに就いては困難