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ば其の虛空も亦虛空の中に在らざる可からず。而して虛空を容るゝ虛空も亦虛空の中に在らざるべからず。斯くして虛空に虛空を要して遂に窮極なかるべし。虛空といふ觀念の不都合なる此の如し。實に在りといはるべきものは唯だ空間を塞充するのみ。以外に虛空と云ふもののあるべき理なし以外は無なり。

《ヅェーノーンの論の根據。》〔十一〕ヅェーノーンは萬物生起の事に關しては別に新しく說くところなかりしが如し。パルメニデースは俗見に假したる說とはいへ尙ほ物理につきて陳ぶる所ありしがヅェーノーンは彼れよりも更に物理說には重きを置かざりしならむと思はる。

上に揭ぐるヅェーノーンの論は要するに空間と時間との限りなく小分せらるべきことを根據とせる者なり。彼れの自說は空間時間の不可分なることを主張するにあるものから假りに反對論者の說(即ち雜多變化ありとするの論)に從うて考ふれば空間と時間とは無限に分割せられ得べく隨うて多及び動といふ觀念は自家撞着の者とならざるを得ずと論じたる也。難多の二個條の論は、甲點と乙點とを分別する空間の限りなく分かたるべきことを以て論據とす。空間の限りなくかたる