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ンの記せる所を信ずべくば師より少きこと二十五歲、其の都邑を擅政家の手中より救ひ出ださむが爲めに雄々しき最期を遂げたりとぞ。

ヅェーノーンの目的とせし所は雜多と云ひ又變動といふ觀念を取り來たりて之れを分析討究し其の不條理なること其の自家撞着に陷るべきことを暴露するにあり。故に彼れの論旨は表面より積極的に師說を立證するにはあらで寧ろ反面より消極的に反對論の立つべからざる所以を明らかにするにありき。(かく論敵に對して一觀念を分析開發して其の眞理非眞理を論證する法を名づけて辯證法といふ。)アリストテレースは辯證法を以てヅェーノーンに始まれりといへれど其の端緖は已にパルメニデースがの觀念を推究したるに啓けたりと謂ふべし。

〔八〕ヅェーノーンの論は難‐雜‐多の論と難‐變‐動の論との二に分かれたり。前者は雜多といふ觀念を分析討究して其の不條理なることを明らかにせむとしたるもの、後者は塲處の變動(即ち運動)といふことの道理上あるまじき所以を論じたるもの也。さてヅェーノーンに取りては、存在すといはるべきものは空間を塞充するものに外ならず、而して空間を塞充するものの變動するは其の存在の塲處を變ずる