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けず、うかと暮す故也、先他國の者に附合て其國の風俗土地山川の事をも尋問ひ、其所々に出生する萬物の善惡にても心を付るやうにすれば、年々物知りになり、智慮も廣く行渡る事なり、江戶へ度々來りても京大阪へ登りても、其儘不案內にて物每曾て功者にもならず、何方へも行ずに居て萬事に心を用る者より却てはるかにおとりたる者數々なり、他國を知らねば我國の善惡も知ぬもの也、三人よれば師匠の出來るといふも一人の仕方能を見聞習ひ、又一人の宜しからぬを捨れば兩方共に我爲と成事なれば、心の用ひ樣にて追々案內者と成べし。

 上たる人へ諫を申にも、又親伯父の子や甥に異見をするも、朋友の間にも其年齡程々を考て云ベきなり、十二三の子供より十七八九三十斗りにも成もの、其時々の血氣にまかせいろの物好きあり、然るに五十六十に及びたる者我身何事をも經て來り、血氣も定り、趣向も鎭りたる心にて若輩の者に何の味もなく、めつたに異見をくわふれば、たとへ好事を申聞せても、只了簡もなく無理成事を申付る樣に存、表向斗り隨たる貌にて、內心には腹を立、おかしき事に思ひ、曾て用ゆる事なく、却て背き盛に成ものなり、然ば人に異見せんと思はゞ、先づ若き時の事を篤と存出し、先のものへも理を付、程能言聞せ、扨々尤千萬成事かな、其方の爲を大切に思ひての事なりと、自然と感得し、心を持替、過を改て、能人間となし、最早何事も氣遣なき樣に成事也。

 分別工夫有人にても、いか成善人にても、若盛時は一旦二旦誤有もの也、萬事を珍敷覺へ遊覽好