私には、何故か彼を病室に見舞ふことが躊躇された。何か物怖ろしい豫感に胸を緊められるやうな氣がしてならなかつたのである。
その翌󠄁日は雨が小止みなく降つてゐた。それは二日降り續き、三日目の午後になつて、やつとあがつた。
私が狂人病棟に、門七を訪ふたのは、その三日目の暮れ方だつた。
私は長い、綺麗に拭き込󠄁まれた廊下を、爪先立てゝ靜かに步いていつた。監禁室は一番奧にあり、その厚い扉󠄁には、中程󠄁に太い鐵棒の嵌つた横󠄂に細長い窓が切つてあつた。
私はその窓を覗き込󠄁み乍ら進󠄁んだ。門七は北側の奧から二つ目の室にゐた。私は扉󠄁をそつと押してみた。鍵は下りてゐなかつたのですぐ開いた。
門七は私を認めると、ゆつくり薄團の上に起󠄁きあがり、其處で最初の視線が會つた。
彼はニツと微笑した。私はほつと胸の塊が解れるやうな安心を覺え、彼の薄團の傍へ胡坐をかいて坐つた。
門七の顏は思った程󠄁憔悴してはゐなかつた。幾分窶れは見えたが、その頰には生々とした紅味が顯れ、私の來訪を欣んでゐる
門七は、突然、兩手を頭上にあげ、胸を外らして、「アヽヽヽツ」と大きく欠伸をした。そして、その手をすぐ卸〔ママ〕さず、
「君は僕が自殺したことを羞しく思つてゐるとでも想像してゐただらう。いや隠󠄂さなくつてもいいよ。」
さう言つて、門七は鳥渡意味ありげに微笑した。が急󠄁に語調をあらためて、眞面目な顏付きになり、
「しかし、僕は實際そんな事を少しも羞しいとは思つてやしないんだ。噓ぢやない。
僕は此處へ入れられてから熟々考へたんだ。俺の自殺失敗は決して偶然ではなかつたんだ。俺には、どうしても死ねない或る物があつたんだよ。まだ壽命があるなんていふのとは意味が違󠄁ふ。俺には只何ん〔ママ〕となく、さう感じられたんだ。