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れば、あるべき限は、敎をからざれども、おのづからよく知てなすことなるに、かの聖人の道は、もと治まりがたき國を、しひてをさめむとして作れる物にて、人の必べきかぎりをスギて、なほきびしく敎へたてむとせるシヒゴトなれば、まことの道にかなはず、カレクチには人みなことしくイヒながら、まことにシカオコナふ人は、世々にいと有がたきを、天理のまゝなる道と思ふはいたくたがへり、又其道にそむける心を、人慾といひてにくむも、こゝろえず、そもその人慾といふ物は、いづくよりいかなる故にていできつるぞ、それも然るべき理にてこそは、イデキたるべければ、人慾も卽天理ならずや、又モヽツギても、同ウヂどちマグハヒすることゆるさずといふサダメなど、かの國にしても、上代より然るにはあらず、周の代のさだめなり、かくきびしく定めたる故は、國のナラハシあしくして、オヤハラカラなどのアヒダにも、みだりなる事のみツネ多くて、ワキなく治まりがたかりし故なれば、かゝるサダメのきびしきは、かへりて國のハヂなるをや、すべてナニの上にも、サダメキビシきは、オカすものゝ多きがゆゑぞかし、さて其サダメサダメと立しかども、まことの道にあらず、人のコヽロにかなはぬことなる故に、したがふ人いとまれなり、ノチはさらにも