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天津日嗣アマツヒツギ高御座タカミクラは、

天皇の御統ミツイデを日嗣と申すは、日神の御心を御心として、其御業ミシワザツギが故なり、又その御座ミクラを高御座と申すは、唯に高き由のみにあらず、日神の御座なるが故なり、日には、高照タカヒカルとも高日タカヒとも日高ヒダカとも申す古語フルコトのあるを思へ、さて日神の御座を、次々ツギに受傳へ坐て、其御座に大坐オホマシます天皇命にませば、日神にヒトシく坐ことウツナし、かゝれば、天津日神のおほみうつくしみをカヾフらむ者は、タレしか天皇命には、可畏カシコヰヤタフトみて、奉仕ツカヘマツらざらむ、

あめつちのむた、ときはにかきはにウゴく世なきぞ、此道のアヤシクスシく、異國アダシクニの萬の道にすぐれて、タヾしきタカタフトシルシなりける、

漢國などは、道てふことはあれども、道はなきが故に、もとよりみだりなるが、世世にます亂れみだれてツヒにはカタヘの國人に國はことくうばはれはてぬ、は夷狄といひてイヤシめつゝ、人のごともおもへらざりしものなれども、いきほひつよくして、うばひ取つれば、せむすべなく天子といひて、アフるなるは、いともあさましきありさまならずや、かくても儒者ズサはなほよき國とやおもふ