Page:Naobinomitama4.pdf/11

このページは校正済みです

て、よく治めしめむとならば、周の代のはてかたにも、必又聖人は出ぬべきを、さもあらざりしはいかにぞ、もし周公孔子にして、スデに道はソナハれる故に、其後は聖人を出さずといはむも、又心得ず、かの孔丘が後、其道あまねく世に行はれて、國よく治まりたらむにこそ、さもいはめ、其後しもいよゝ其道すたれはてゝ、徒言イタヅラゴトとなり、國もますみだれつる物を、今はたれりとして、聖人をも出さず、國のマガをもかへりみず、つひに秦始皇がごとアラぶる人にしもアタへて、人草ヒトクサクルしめしは、いかなる天のひがごゝろぞ、いといぶかし、始皇などは天のあたへしに非る故に、久しくはえたもたず、ともいひマグべけれど、そもシバラクにても、さる惡人アシキヒトにあたふべき理あらめやも、又國をしる君のうへに、天命のあらば、下なる諸人モロビトのうへにも、善惡ヨキアシきしるしを見せて、ヨキ人はながくサカえ、アシキ人はスミヤけくマガるべき理なるを、さはあらずて、よき人もアシく、あしき人もきたぐひ、ムカシも今も多かるはいかに、もしまことに天のしわざならましかば、さるひがことはあらましや、さて後世になりては、やうやく人心さかしきゆゑに、國を奪ひて天命ぞといふをば、世人のウベなはねば、うはべはユヅらせてトルこともあるをば、よからぬことに