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おしはかりに作りかまへたる物なれば、うち聞には、ことわりフカげにきこゆめれども、カレ垣內カキツハナれて、外よりよく見れば、ナニばかりのこともなく、中〻にアサはかなることゞもなりかし。されどムカシも今も世人の、此垣內カキツ迷入マヨヒイリて、出離イデハナれぬこそくちをしけれ。大御國のコトは、神代より傳へしまゝにして、いさゝかも人のさかしらをクハへざる故に、うはベはたゞ淺〻アサと聞ゆれども、マコトにはそこひもなく、人のサトリ測度ハカラぬ、深きタヘなる理のこもれるを、其意をえしらぬは、かの漢國書カラクノブミ垣內カキツにまよひる故なり。をいではなれざらむほどは、たとひ百年モヽトセ千年チトセチカラをつくして物學モノマナぶとも、道のためには、何のシルシなきいたづらわざならむかし。但し古書は、みな漢文カラブミにうつして書たれば、彼國のことも、一わたりは知てあるべく、文字モジのことなどしらむためには、漢籍カラブミをも、いとまあらば學びつべし。皇國魂ミクニダマシヒの定まりて、たゞよはぬうへにては、サマタゲはなきものぞ。

カレおのが身〻ミヽ受行ウケオコナふべき神道〻の敎などいひて、くさものすなるも、みなかの道のをしへごとをうらやみて、近き世にかまへ出たるわたくしごとなり。

ことしく祕說ヒメゴトなど云て、人えりしてヒソカに傳ふるタグヒなど、皆後世に僞造イツハリツクれることぞ。凡てよきことは、いかにも世に廣まるこそよけれ。ひめかくして、あまねく人に知せず、オノ私物ワタクシモノにせむとするは、いとこゝろぎたなきわざなりかし。

あなかしこ、天皇オホキミの天下しろしめす道を、シモシモとして、オノがわたくしの物とせむことよ。

下なるモノは、かにもかくにもたゞ上の御おもむけにシタガるこそ、道にはかなへれ。たとへ神の道のオコナひの、コトにあらむにても、を敎へ學びて、コトに行ひたらむは、上にしたがはぬ私事ならずや。

人はみな、產巢ムスビノ神の御靈ミタマによりて、ウマれつるまに、身にあるべきかぎりのワザは、おのづから知てよくる物にしあれば、

世中ヨノナカイキとしいける物、鳥蟲に至るまでも、オノが身のほどに、必あるべきかぎりのわざは、產巢ムスビノ神のみたまにヨリて、おのづからよく知てなすものなる中にも、人は殊にすぐれたる物とうまれつれば、又しかスグれたるほどにかなひて、知べきかぎりはしり、すべきかぎりはする物なるに、いかでか其をなほシヒることのあらむ。敎によらずては、えしらずえせぬものといはゞ、人は鳥蟲におとれりとやせむ。いはゆる仁義禮讓孝悌忠信のたぐひ、皆人の必あるべきわざなれば、あるべき限は、敎をからざれども、おのづからよく知てなすことなるに、かの聖人の道は、もと治まりがたき國を、しひてをさめむとして作れる物にて、人の必べきかぎりをスギて、なほきびしく敎へたてむとせる强事シヒゴトなれば、まことの道にかなはず。カレクチには人みなことしくイヒながら、まことにシカオコナふ人は、世〻にいと有