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りさまにコトならずなもありける。

そも此道は、いかなる道ぞとタヅぬるに、天地のおのづからなる道にもあらず、

をよく辨別わきまへて、かの漢國カラクニの老莊などがコヽロと、ひとつにな思ひまがへそ。

人の作れる道にあらず。此道はしも、可畏カシコきや高御タカミ產巢ムスビノ神の御靈ミタマによりて、

中にあらゆる事も物も、ミナコトに此大神のみたまより成れり。

神祖カムロギ伊邪那イザナギノ大神伊邪那イザナミノ大神の始めたまひて、

よのなかにあらゆる事も物も、此二柱大神よりはじまれり。

天照大御神のウケたまひたもちたまひ、傳へ賜ふ道なり。カレ是以ココヲモテ神の道とは申すぞかし。

道と申す名は、書紀の石村池邊イハレノイケノベノ宮の御卷に、始めて見えたり。されどは只、神をいつき祭りたまふことをさして云るなり。さて難波長柄宮の御卷に、惟神カムナガラトハシタガヒ 玉ヒテオ ルヲ也とあるぞ、まさしく皇國の道を廣くさしていへる始なりける。さて其由は、上に引ていへるが如くなれば、其道といひて、ことなるオコナひのあるにあらず。さればたゞ神をいつき祭りたまふことをいはむも、いひもてゆけば一むねにあたれり。然るを、からぶみに、聖人設ケテ神道、といふ言あるを取て、此方コヽにもナヅけたりなどいふめるは、ことのこころしらぬみだりゴトなり。其故は、まづ神とさすもの、コヽカシコと始より同じからず。かの國にしては、いはゆる天地陰陽の、不測ハカリガタアヤシきをさしていふめれば、たゞムナシき理のみにして、たしかに其物あるにあらず。さて皇國の神は、今のヲツヽ御宇アメノシタシロシメス、天皇の皇祖ミオヤに坐て、さらにかのムナシき理をいふ類にはあらず。さればかの漢籍カラブミなる神道は、不測ハカリガタクくあやしき道といふこゝろ、皇國の神道は、皇祖ミオヤノ神の、始め賜ひたもち賜ふ道といふことにて、其意いたくコトなるをや。

さて其道の意は、此フミをはじめ、もろ古書イニシヘブミどもをよくアヂハひみれば、今もいとよくしらるゝを、世〻のものしりびとゞもの心も、みな禍津日神にまじこりて、たゞからぶみにのみマドひて、思ひとおもひいひといふことは、みなホトケカラとのコヽロにして、まことの道のこゝろをば、えさとらずなもある。

は道といふ言擧コトアゲなかりし故に、古書どもに、つゆばかりも道〻ミチしきコヽロコトバも見えず。カレ舍人親王トネノミコを始め奉て、世〻の識者モノシリビトども、道の意をえとらへず、たゞかの道〻ミチしきことこちたく云る、からブミコトのみ、心のソコにしみツキて、を天地のおのづからなる理と思る故に、すがるとは思はねども、おのづからそれにまつはれて、彼方カナタへのみ流れゆくめり。されば異國アダシクニの道を、道の羽翼タスクとなるべき物と思ふも、卽心のかしこへウバはれつるなりけり。大かた漢國のコトは、かの陰陽乾坤などをはじめ、モロ皆、もと聖人どものオノサトリをもて、