坐サむも惡く坐サむも、側よりうかゞさひはかり奉ることあたはず。天地のあるきはみ、月日の照す限リは、いく萬代を經ても、動き坐サぬ大君に坐セり。故レ古語にも、當代の天皇をしも神と申して、實に神にし坐シませば、善惡き御うへの論ひをすてゝ、ひたぶるに畏み敬ひ奉仕ぞ、まことの道には有リける。然るを中ごろの世のみだれに、此ノ道に背きて、畏くも大朝廷に射向ひて、天皇尊をなやまし奉れりし、北條ノ義時泰時、又足利ノ尊氏などが如きは、あなかしこ、天照日ノ大御神の大御蔭をもおひはからざる、穢惡き賊奴どもなりけるに、禍津日神の心はあやしき物にて、世ノ人のなびき從ひて、子孫の末まで、しばらく榮え居しことよ。抑此ノ世を御照し坐シます天津日ノ神をば、必ズたふとみ奉るべきことをしれども、天皇を必ズ畏こみ奉るべきことをば、しらぬ奴もにありけるは、漢籍意にまどひて、彼ノ國のみだりなる風俗を、かしこきことにおもひて、正しき皇國の道をえしらず、今世を照しまします天津日ノ神、卽チ天照大御神にましますことを信ず、今の天皇、すなはち天照大御神の御子に坐シますことを忘れたるにこそ。
天津日嗣の高御座は、
天皇の御統を日嗣と申すは、日ノ神の御心を御心として、其ノ御業を嗣坐スが故なり。又その御座を高御座と申すは、唯に高き由のみにあらず、日ノ神の御座なるが故なり。日には、高照とも高日とも日高とも申す古語のあるを思へ。さて日ノ神の御座を、次〻に受ケ傳へ坐て、其ノ御座に大坐ます天皇命にませば、日ノ神に等く坐スこと決し。かゝれば、天津日ノ神のおほみうつくしみを蒙らむ者は、誰しか天皇命には、可畏み敬び尊みて、奉仕らざらむ。
あめつちのむた、ときはにかきはに動く世なきぞ、此ノ道の靈く奇く、異國の萬ヅの道にすぐれて、正しき高き貴き徵なりける。
漢國などは、道てふことはあれども、道はなきが故に、もとよりみだりなるが、世〻にますます亂れみだれて、終には傍の國ノ人に、國はこと〴〵くうばゝれはてぬ。其は夷狄といひて卑めつゝ、人のごともおもへらざりしものなれども、いきほひつよくして、うばひ取リつれば、せむすべなく天子といひて、仰ぎ居るなるは、いとも〳〵あさましきありさまならずや。かくても儒者はなほよき國とやおもふらむ。王のみならず、おほかた貴きいやしき統さだまらず。周といひし代までは、封建の制とかいひて、此ノ別ありしがごとくなれど、それも王の統かはれば、下までも共にかはりつれば、まことは別なし。秦よりこなたは、いよよ此ノ道たゝず、みだりにして、賤き奴の女も、君の寵のまに〳〵、忽に后の位にのぼり、王の女をも、すぢなき男にあはせて、恥ともおもへらず。又昨日まで山賤なりし者も、今日はにはかに、國の政とる高官にもなり登るたぐひ、凡て貴賤き品さだまらず、島獸のあ