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天皇尊スメラミコトの大御心を心とせずして、己〻オノがさかしらごゝろを心とするは、漢意カラゴゝロウツれるなり。

さてこそヤスけくタヒラけくて有來アリコし御國の、みだりがはしきこといできつゝ、異國アダシクニにやゝたることも、後にはまじりきにけれ。

いとめでたき大御國の道をおきながら、他國ヒトグニのさかしく言痛コチタ意行コヽロシワザを、よきことゝして、ならひまねべるから、ナホキヨかりし心もオコナひも、みな穢惡キタナくまがりゆきて、後つひには、かの他國ヒトグニのきびしき道ならずては、治まりがたきが如くなれるぞかし。さる後のありさまを見て、聖人の道ならずては、國は治まりがたき物ぞと思ふめるは、しか治まりがたくなりぬるは、もと聖人の道のツミなることを、えさとらぬなり。古の大御代に、其道をからずて、いとよく治まりしを思へ。

そも天地アメツチのあひだに、有とある事は、悉皆コトに神の御心なる中に、

凡て此中の事は、春秋のゆきかはり、雨ふり風ふくたぐひ、又國のうへ人のうへの、ヨキアシき萬事、みなことに神の御所爲ミシワザなり。さて神には、ヨキもありアシきも有て、所行シワザもそれにしたがふなれば、大かた尋常ヨノツネのことわりを以ては、ハカりがたきわざなりかし。然るを世人、かしこきもおろかなるもおしなべて、外國トツクニの道〻のコトにのみマドひはてゝ、此意をえしらず。皇國の學問モノマナビする人などは、古書イニシヘノフミを見て、必べきわざなるを、さる人どもだに、えわきまへ知ざるは、いかにぞや。抑ヨキアシき萬の事を、あだし國にて、佛の道には因果とし、カラの道〻には天命といひて、天のなすわざと思へり。これらみなひがことなり。そが中に佛コトは、多く世の學者モノマナブヒトの、よくワキマへつることなれば、今いはず。漢國カラクニの天命のコトは、かしこき人もみなマドひて、いまだひがことなることをさとれる人なければ、今これをアゲツラひさとさむ。抑天命といふことは、彼國にて古に、君をホロボし國をウバひし聖人の、オノが罪をのがれむために、かまへイデたる託言コトツケゴトなり。まことには、天地は心ある物にあらざれば、メイあるべくもあらず。もしまことに天に心あり、コトワリもありて、善人ヨキヒトに國をアタへて、よく治めしめむとならば、周の代のはてかたにも、必又聖人は出ぬべきを、さもあらざりしはいかにぞ。もし周公孔子にして、スデに道はソナハれる故に、其後は聖人を出さずといはむも、又心得ず。かの孔丘が後、其道あまねく世に行はれて、國よく治まりたらむにこそ、さもいはめ、其後しもいよゝ其道すたれはてゝ、徒言イタヅラゴトとなり、國もますみだれつる物を、今はたれりとして、聖人をも出さず、國のマガをもかへりみず、つひに秦始皇がごとアラぶる人にしもアタへて、人草ヒトクサクルしめしは、いかなる天のひがごゝろぞ、いといぶかし。始皇などは、天のあたへしに非る故に、久しくはえたもたず、ともいひマグべけれど、そもシバラクにても、さる惡人アシキヒトにあたふべき理あらめやも。又國をしる君のうへに、天命のあら