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そいとオロカなれ。かくてその聖人どものしわざにならひて、後〻ノチの人どもゝ、よろづのことを、オノがさとりもておしはかりごとするぞ、彼國のくせなる。大御國の物學びせむ人、コヽをよく心得をりて、ゆめから人のコトになまどはされそ。すべて彼國は、事ゴトにあまりこまかに心をツケて、かにかくにアゲツラひさだむる故に、なべて人の心さかしだちワロくなりて、中〻に事をしゝこらかしつゝ、いよゝ國は治まりがたくのみなりゆくめり。されば聖人の道は、國を治めむために作りて、かへりて國をミダすたねともなる物ぞ。すべてナニわざも、オイらかにして事タリぬることは、さてあるこそよけれ。カレ皇國の古は、さる言痛コチタき敎ナニもなかりしかど、下が下までみだるゝことなく、天下はオダヒに治まりて、天津日嗣いや遠長トホナガに傳はりマセり。さればかの異國の名にならひていはゞ、是ウヘなきスグレたるオホき道にして、マコトは道あるが故に道てふコトなく、道てふことなけれど、道ありしなりけり。そをことしくいひあぐると、然らぬとのけぢめを思へ。言擧コトアゲせずとは、あだし國のごと、こちたくイヒたつることなきを云なり。タトヘザエナニも、すぐれたる人は、いひたてぬを、なまのわろものぞ、返りていさゝかの事をも、ことしくイヒあげつゝほこるめる如く、漢國カラクニなどは、道ともしきゆゑに、かへりて道〻ミチしきことをのみ云あへるなり。儒者ズサはこゝをえしらで、皇國をしも、道なしとかろしむるよ。儒者のえしらぬは、萬カラタフトき物に思へる心は、なほさも有なむを、此方コヽの物知人さへに、是をえさとらずて、かの道てふことある漢國をうらやみて、シヒてこゝにも道ありと、あらぬことゞもをいひつゝアラソふは、たとへば、サルどもの人を見て、なきぞとわらふを、人のハヂて、おのれもはある物をといひて、こまかなるをしひて求出モトメイデて見せて、あらそふが如し。きが貴きをえしらぬ、癡人シレモノのしわざにあらずや。

然るをやゝクダりて、書籍フミといふ物渡參來ワタリマヰキて、マナびよむ事ハジまりて後、其國のてぶりをならひて、やゝ萬のうへにまじへ用ひらるゝ御代になりてぞ、大御國の古大御オホミてぶりをば、トリワケ神道カミノミチとはなづけられたりける。そはかの外國トツクニ道〻ミチにまがふがゆゑに、カミといひ、又かの名をりて、こゝにもミチとはいふなりけり。

神の道としもいふ所由ユヱは、下につばらかにとく。

しかありて御代〻〻をるまゝに、いやますに、そのカラ國のてぶりをしたひまねぶこと、サカリになりもてゆきつゝ、つひに天の下所知シロシ大御政オホミワザも、もはら漢樣カラザマナリはてゝ、

難波の長柄ナガラ宮、淡海アフミの大津宮のほどに至りて、天の下の御制度ミサダメも、みなカラになりき。かくて後は、古てぶりは、たゞ神事カムワザにのみ用ひ賜へり。故代までも、神事カムワザにのみは、皇國のてぶりの、なほのこれることおほきぞかし。

靑人草アヲヒトクサの心までぞ、其意にうつりにける。