Page:NDL992519 千島アイヌ part1.pdf/27

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に便︀利なり、兩者︀とも出版は古けれども參考とするには可なり、

 (八)バツチヱラル氏 The Ainu of Japan.

バツチヱラル氏の書中に直︁接千島アイヌのことを記󠄂する所なし、只た第二第三章「日本の有史󠄁以前」中の三一一の所、一頁に千島土人のことあり、

氏が千島土人を茲に記せしは、この章に於てコロポツグルとの比較をなせしを以てなり、氏は云へらく色丹󠄁、其他千島群島に居住する土人は堅穴を作れり、且つ色丹󠄁土人の身長は蝦夷アイヌよりも短小、容貌氣質も又󠄂稍や異なり (氏はミルン氏より取りたる所多きが如し) 而して蝦夷の或アイヌは彼等を以てコロボツグルの殘りものとなすものありと、

要するに氏の千島土人に就て記󠄂せられたるは、以上の如き者︀而已、されどこの文󠄁は常にミルン氏の論文󠄁と共に千島アイヌの身長短小、蝦夷アイヌと容貌の異なれりとなす人々の屈强の引證となす所のものとなれり、サブエージランドル氏の駁したるものこの點にあり、

バッチヱラル氏は同書三一一頁中に、千島土人の竪穴の內面外面の二圖を出されたり、

 (九)スクリバ氏の說

スクリバ氏の色丹󠄁アイヌ說は要するに千島土人を以て (今日色丹󠄁へ移されたるもの) カムチヤダールールと露西亞人との雜種よりなりしものならんとせらるゝにあり、氏はこの說を別に自から論文󠄁として世に公にしたるものにあらず、單にMittheil. d. Deutch. Gesellsch. f. Natur u. Völkerkunde Ostasien. 第四卷、第三六號 (一八八七年會報中一八九—二九一頁) に記せしのみ、この會報の記󠄂事は氏が一八八七年に北海︀道及び色丹󠄁を巡回せられたることの槪畧を報せられたるものとす、小金井氏はスクリバ氏の說を一說として氏の論文󠄁中 (アイノ論文󠄁、第二卷二九八頁) に登載せらる、

 (一〇)グリム氏Beiträge zur Kenntniss der Koropokguru auf Yeso demerkangen über die und Shikotan-Aino.

氏の論文󠄁は東亞萬有人種獨乙協會報吿第五卷、第四八號にあり、三六九頁より三七二頁までは主としてコロボツグルに關する考古學上の事を記し、七七二頁の終より七三三頁までの間に「色丹󠄁アイヌの住處」なる一章を設け色丹󠄁アイヌの事を記せり、氏の文󠄁中色丹󠄁土人に就て見るべきものは其家屋の構造(圖をも附せり)の記󠄂載なり、この文はヒチユコック、小金井兩氏の家屋の文󠄁と互に比較せば大に得る所あるべし、

 (一一)キリルロフ氏千島及其沿革

アレクサムドルキリルロフ氏は一八九四年、西比利亞のブラウヱチヱンスクにて「西比利亞黑龍江州、沿海︀州地理學統計字典」を編纂せらる、悉く露西亞文󠄁なり、同書は其名の如く、書中二洲の地理、人種人口、歷史󠄁、氣候等の事を載す、而して氏は又󠄂千島の地形及び沿革をこの書に記せり、其全󠄁文󠄁を