Page:NDL992519 千島アイヌ part1.pdf/24

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氏の文󠄁中見る可きものは四二三頁より四二五頁までにして、こゝには色丹󠄁土人の人口、戶數、土俗の大要を記󠄂し殊に家屋のことを精󠄀しく記󠄂せり、本篇の主點は全く茲にあらん、

スミソニアン報告編者︀はこの論文󠄁を有益︀なるものとして、殊に同年の報告中に納めたり、余はいまだこの論文󠄁にては滿足なし能はざれども、兎に角色丹󠄁土人の當時半󠄁穴居の有樣を精しく說明するものはこれの他に無ければ、千島土人の竪穴のことを云はんとするものは、必らずこの書を參考引用せざる可からず、

 (四)サブエージランドア氏 Alone wiihママthe Hairly Ainu.

一八九三年の出版、氏は曾て北海︀道を一周し且つ色丹󠄁島にも渡航し、歸國この書を公にせられたるなり、本書中千島土人に關する條は第九章「堅穴住民コロポツクル」篇中の八七—九○頁と、第十二章「千島群島、ママの全篇(一二一—一三一頁)と附錄三〇四—三一二頁となり、

「千島群島」篇には氏のスケツチせられたる色丹󠄁土人の男女三人の容貌風俗を圖す、而して一二一—一二四頁には主として千島群島の地形、名稱を記󠄂し、一二五—一二八頁に色丹󠄁アイヌの土俗を記󠄂し、一二九—一三二頁に擇捉、國後兩島のことを記󠄂せり、要するにこの篇見るに足る者︀なし、第九章「竪穴住民コロボツグル」篇は大に見る可きものあり、其大要は色丹󠄁土人は全くアイヌにして其脛骨の異なる外 (則ち蝦夷アイヌは脛骨偏平、色丹󠄁アイヌは圓形)二者︀更に異なる所なしとてミルン(亞細亞協會報告の文󠄁)バツチヱラル著︀述中の文󠄁を駁されたるなり、

氏は容貌、躰質に於て色丹󠄁アイヌと蝦夷アイヌと同一なりと云はれたり、殊にこれまで世人が千島土人の身長を小なりと思ひしも、氏は色丹󠄁アイヌの身長六一インチより六二インチ四分の三、蝦夷アイヌ身長も又󠄂六一インチ六二インチ四分の三なれば互に同一にして、決して色丹󠄁アイスは身長の小なるものにあらずとせり、この結果は又󠄂小金井博士の測定に等しと云ふべし、

余は氏の說に就て疑はしと思ふこと[1]あり、氏は何の證ありて色丹󠄁アイヌの脛骨を圓形となせしや、第九章の文󠄁中一も測定を示すなく、また附錄三〇四—三〇五頁の色丹󠄁土人測定の文󠄁中一も其の事實を示すなく、只だ單に「脛骨甚だ長しと」記󠄂せられたるのみ、氏は斯くの如き有益︀なる事實を色丹󠄁土人の中に發見せられながら何が故に其の測定結果指示數を書中に明記せざるや、余は甚だ疑ひなき能はざるなり、

氏の色丹󠄁土人の躰格調査を見るに、骨格にてなせしものにあらずして、生躰にて調査せられたるものなり、生躰にて調査せられたるものとなせば、決して外面より其脛骨の形狀を知り能ふべきものにあらず、然るに氏はこれを公然と記󠄂す、余は未だ氏の精󠄀確なる測定調査の報に接するまで氏の云はるゝ脛骨の圓形には同意する能はざるなり、

尙ほ氏は色丹󠄁土人は竪穴に住まずとなし、バツチヱラル氏を駁し、又󠄂占守土人の曾て竪穴に住ひしは

  1. ひらがな「こと」の合字