Page:NDL992519 千島アイヌ part1.pdf/16

このページはまだ校正されていません

千島アイヌ

帝國大學理科大學助手 鳥居龍藏著

總論

余の千島に趣きたるは明治三十二年[1]五月なり、恰も帝國軍艦が每年一回警備艦として密獵船其他の取調の爲めに千島全島を巡廻することと定まれるを以て、同年も例の如く武藏艦が千島を巡回することと爲り、余は東京帝國大學より海軍省に願ひ之に便乘することと爲りたり、

武藏艦は函館を發して根室に寄り、根室より色丹󠄁に着けり、當年千島土人は悉く色丹󠄁に移住せしめ居るを以て、余は取調の便を得る爲めグリゴリーと云へる、能く物事を辨へ居る當年五十有餘歲の老人を傭ひ入れたり、是より武藏艦は色丹󠄁島を發し、國後島を經て、擇捉島の中なるルベツに着せるを以て余は上陸してトシモイ附近の地を探檢し、再び武藏に乘りてポロモジリ島に行き、又󠄂此處に上陸して取調を爲し、次に艦は占守島の片岡灣(即ちモヨロツプ)に碇泊せり、占守島は郡司大尉の居る所なり、余は直︁ちに上陸して占守島の各所を調査し、一週間の後此處を發して、オホートスクを經てウルッブ島に着せり、是より武藏は巡廻して再び擇捉島のルベツに到り、次で色丹󠄁島に着せり、色丹󠄁島は當

  1. 修正跡あり