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の關係
本書は單に千島アイヌの事のみを記するものなりと雖も、尙ほ人類學上參考、比較として、其附近に捿息せる、蝦夷アイヌ、唐太アイヌ、カムチヤダール、アリユトー、コリヤーク、チユクチ、ギリヤーク、ツングース等にも說き及ぼしたり、千島アイヌは年々歲々其人口大に减少なしつゝあるを以て、或は悲しむ可きことながら本書が彼等に向ての最後の出版物なるやも知るべからず、余は本書がこの位置に立たざらんことを祈るものなり、
千島アイヌは其言語に、風俗に大に見るべき所あり、殊に彼等が石器時代の人民たるは吾人の最も注目すべきことなりとす、千島アイヌ其物を硏究せんと欲する者は固より、單に本邦石器時代人民の硏究に從事する者と雖も、亦この千島アイヌに注目すべき義務あるものと信ず
ヤコフ、グリゴリー、ゲラシム、アウヱリヤン、ニキハル、イヒミ、セ子[1]ホンド等の千島アイヌは、余の調査に就て一方ならざる助力をなしくれたり、本書のなる全く是等諸君の賜なりと云はざる可からず、殊にグリゴリーは余の助手として久しくともに旅行往來せしを以て、同人に得たる所頗る多し、玆に其厚意を深謝す
千島旅行中は宿舍其他の事に就て郡司成忠氏及び同令夫人奧村圓心氏[2]の周旋盡力を蒙りたる多し、航海中は武藏艦員諸君に負ふ所頗る多く、本書起稿に就ては我恩師坪井博士、小金井博士の敎示を受けたる敢て少なしとせず、植物のことは松村理學博士に質𛁈、本書の表紙意匠畵は(千島アイヌの土俗品より)友人長原止水君