中山公園 夕食後一同で中山公園に車を飛ばして、夕暮までの一時を頭を安める事にする。 自然を生かした、粗野ではあるが 持の良い公園である。 一隅にある石をあしらった小山に登れば汕頭を一に収められる、堂々たる市街である。こん な大観を持ちながら何うして二十萬人位の人口かと不思議にする位である。何を見ても煙突一本ない完全なる消費 都市である。今は貿易も超え僅かに華僑の仕送り (昨年は三千萬元あつたそうだ)に縋つて生活をして居ると言ふが何 を見ても生がない。 戦争に疲れた町の姿をまざと見るのである。 山を下れば相當の家庭の人であらう、夏の夕べを楽しみつ散する風景は淡い旅をすら感ぜしめる、皆で田中技 師に記念撮影をして貰ふ。 公園は革命の父孫文を記念するために作られたもので韓江の水流を取り入れ池に湛えた黄土色の水の間に水禽が 群れ遊び、南を偲ぶ熱帯植物の並木、 歌の懐古等、何か親しみ深い感にそられるものがあった。グランドの 方へ出ると、事さえなければ今頃は立派に竣工したであらうと思はれる市の公食堂らしい建物も基礎工事だけは出来 上つたがそのまゝに放置されてゐる。この公園も完成された暁には日比谷公園位の規模にはなるらしい、扇谷師と知合 らしい将さんから言葉を掛けられ異郷だけに人懐かしい、お供に同伴した中國ボーイが浸歩に分を出したせいか日 本の民謡を歌ひ出した。仲々良い音律なので賞めたら今度は支那唄を歌ひ初めた。一人のボーイはハーフニカで合奏す 南の若い者は音楽好きだと聞いてたが全くその通りで次から次へと歌ひける。 こうして浸ろ歩きの間に、本當 青年の姿を見ることが出来て嬉しい。 中國の文化 中國人は國語を語る時決して外語を交えない。どんな言葉でも之を自國語にして使用する。使ふにしても、 英 (米)、徳(獨) 意 (伊)などの國名は其の儘使用する位である。それだけに彼等は國語に忠實でありその極めて 的である。従つて外文化を吸収し、抱擁する力に続けてゐる。 だから世界の情勢にもいのである、文化的にも水準から遅れてみるのも又止むを得ぬ、彼等は何千年來惰力の生活 を続けてゐるのである。 六月三日 灌頂の峠も越え、結願も近づいて来たので何となく楽しい、今日の入壇者は昨日七十餘名にしたので今日は くしてあるから一時間にして午前、午後も二時に終了、午後四時の三昧耶戒に備へて休養をとる。 今日の受者は南桂區の郷長陳可衡氏である。 村は三百六十家族もあり一族である。従来はキリスト教を信仰してみ たが、この戦争を契機として敢然日本的な轉向した、當地方切つての有力者である。 行列の模様や、女子讃歌隊を内地の人々にもお知らせしたいとい云ふので寫真を撮って貰う事にした。我等の技師田中 さんもこの時とばかり大いに腕をはれる。女子讃歌隊十六口の職業は二組出来てゐる。 我々の到着までは男女員が 二ヶ月餘に亘って日々交代で道中安全を祈願してくれたそうであるが、内地の普門其の他關係者の祈願と比べて我々 の力で安全に来たものとは考え得られない。全ての力が纏和集積して始めて成したものと痛感させられるのである。 男女が何ヶ月でも生活面から離れた新三昧に没入してゐる姿は到底内地では望めない事である。 I g
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