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も、我をば努な棄て玉ひそ。母とはいたく爭ひぬ。されど我身の過ぎし頃には似で思ひ定めたるを見て心折れぬ。わが東に往かん日には、ステツチンわたりの農家に、遠き緣者あるに、身を寄せんとぞいふなる。書きおくり玉ひし如く、大臣の君に重く用ゐられ玉はゞ、我路用の金は兎も角もなりなん。今は只管君がベルリンに還へり玉はん日を待つのみ。

嗚呼、余は此書を見て始めて我地位を明視し得たり。耻かしきはわが鈍き心なり。余は我身一つの進退につきても、又た我身に係らぬ他人の事につきても、果斷ありと自ら心に誇りしが、此果斷は順境にのみありて、逆境にはあらず。我と人との關係を照さんとするときは、賴みし胸中の鏡は曇りたり。

大臣は既に我に厚し。されどわが近眼は唯だおのれが盡したる職分をのみ見き。余はこれに未來の望を繫ぐことには、神も知るらむ、絕えて想到らざりき。されど今こゝに心づきて、我心は猶ほ冷然たりし歟。先に友の勸めしときは、大臣の信用は屋上の禽の如くなりしが、今は稍やこれを得たるかと思はるゝに、相澤がこの頃の言葉の端に、本國に歸りての後も俱にかくてあらば云々といひしは、大臣のかく宣ひしを、友ながらも公事なれば明には吿げざりし歟。今更おもへば、余が輕卒にも彼に向ひてエリスとの關係を絕たんといひしを、早く大臣に吿げやしけん。

嗚呼、獨逸に來し初に、自ら我本領を悟りきと思ひて、また器械的人物とはならじと誓ひしが、こは足を縛して放たれし鳥の暫し羽を動かして自由を得たりと誇りしにはあらずや。足の絲は解くに由なし。曩にこれを繰つりしは、我某省の官長にて、今はこの絲、あなあはれ、天方伯の手中に在り。余が大臣の一行と俱にベルリンに歸りしは、恰も是れ新年の旦なりき。停車場に別を吿げて、我家