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太郞といふ名はいつも一級の首にしるされたるに、一人子のわれを力になして世を渡る母の心は慰みけらし。十九の歲には學士の稱を受けて、大學の立ちてよりその頃までにまたなき名譽なりと人にも言はれ、某省に出仕して、故鄕なる母を都に呼び迎へ、樂しき年を送ること三とせばかり、官長の覺え殊なりしかば、洋行して一課の事務を取り調べよとの命を受け、我名を成さむも、我家を興さむも、今ぞとおもふ心の勇み立ちて、五十を踰えし母に別るゝをもさまで悲しとは思はず、遙々と家を離れてベルリンの都に來ぬ。

余は模糊たる功名の念と、檢束に慣れたる勉强力とを持ちて、忽ちこの歐羅巴の新大都の中央に立てり。何等の光彩ぞ、我目を射むとするは。何等の色澤ぞ、我心を迷はさむとするは。菩提樹下と譯するときは、幽靜なる境なるべく思はるれど、この大道髮の如きウンテル、デン、リンデンに來て兩邊なる石だゝみの人道を行く隊々の士女を見よ。胸張り肩聳えたる士官の、まだ維廉一世の街に臨める窫に倚り玉ふ頃なりければ、樣々の色に飾り成したる禮裝をなしたる、姸き少女の巴里まねびの粧したる、彼も此も目を驚かさぬはなきに、車道の土瀝靑の上を音もせで走るいろの馬車、雲に聳ゆる樓閣の少しとぎれたる處には、晴れたる空に夕立の音を聞かせて漲り落つる噴井の水、遠く望めばブランデンブルク門を隔てゝ綠樹枝をさし交はしたる中より、半天に浮び出でたる凱旋塔の神女の像、この許多の景物目睫の間に聚まりたれば、始めてこゝに來しものゝ應接に遑なきも宜なり。されど我胸には縱ひいかなる境に遊びても、あだなる美觀に心をば動さじの誓ありて、つねに我を襲ふ外物を遮り留めたりき。

余が鈴索を引き鳴らして謁を通じ、おほやけの紹介狀を出だして東來の意を吿げし普魯西の官員は、