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白紙のまゝなるは、獨逸にて物學びせし間に、一種の「ニル、アドミラリイ」の氣象をや養ひ得たりけむ、あらず、これには別に故あり。

げに東に還る今の我は、西に航せし昔の我ならず、學問こそ猶心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、人の心の賴みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ變り易きをも悟り得たり。きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感觸を、筆に寫して誰にか見せむ。これや日記の成らぬ緣故なる、あらず、これには別に故あり。

嗚呼、フリンヂイシイの港を出でゝより、はや二十日あまりを經ぬ。世の常ならば生面の客にさへ交を結びて、旅の憂さを慰めあふが航海の習なるに、微恙にことよせて房の裡にのみ籠りて、同行の人々にも物言ふことの少きは、人知らぬ恨に頭のみ惱ましたればなり。此恨は初め一抹の雲の如く我心を掠めて、瑞西の山色をも見せず、伊太利の古蹟にも心を留めさせず、中頃は世を厭ひ、身をはかなみて、腸日ごとに九廻すともいふべき慘痛をわれに負はせ、今は心の奧に凝り固まりて、一點の翳とのみなりたれど、文讀むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、聲に應ずる響の如く、限なき懷舊の情を喚び起して、幾度となく我心を苦む。嗚呼、いかにしてか此恨を銷せむ。若し外の恨なりせば、詩に詠じ歌によみし後は心地すがしくもなりなむ。これのみは餘りに深く我心に彫りつけられたればさはあらじと思へど、今宵はあたりに人も無し、房奴の來て電氣線の鍵を捩るには猶程もあるべければ、いで、その槪略を文に綴りて見む。

余は幼き比より嚴しき庭の訓を受けし甲斐に、父をば早く喪ひつれど、學問の荒み衰ふることなく、舊藩の學館にありし日も、東京に出でゝ豫備黌に通ひしときも、大學法學部に入りし後も、太田豐