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一諾を知り、俄に坐より躍り上がり、面色さながら土の如く、「我豐太郞ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか」と叫び、その場に僵れぬ。相澤は母を呼びて共に扶けて床に臥させしに、暫くして醒めしときは、目は直視したるまゝにて傍の人をも見知らず、我名を呼びていたく罵り、髮をむしり、蒲團を嚙みなどし、また遽に心づきたる樣にて物を探り討めたり。母の取りて與ふるものをば悉く抛ちしが、机の上なりし襁褓を與へたるとき、探りみて顏に押しあて、淚を流して泣きぬ。

これよりは騷ぐことはなけれど、精神の作用は殆全く廢して、その痴なること赤兒の如くなり。醫に見せしに、過劇なる心勞にて急に起りし「ブリヨオトジン」といふ病なれば、治癒の見込なしといふ。ダルドルフの癲狂院に入れむとせしに、泣き叫びて聽かず、後にはかの襁褓一つを身につけて、幾度か出しては見、見ては欷歔す。余が病牀をば離れねど、これさへ心ありてにはあらずと見ゆ。たゞをり思ひ出したるやうに「藥を、藥を」といふのみ。

余が病は全く癒えぬ。エリスが生ける屍を抱きて千行の淚を濺ぎしは幾度ぞ。大臣に隨ひて歸東の途に上ぼりしときは、相澤と議りてエリスが母に微なる生計を營むに足るほどの資本を與へ、あはれなる狂女の胎內に遺しゝ子の生れむをりの事をも賴みおきぬ。

嗚呼、相澤謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我腦裡に一點の彼を憎むこゝろ今日までも殘れりけり。


惡因緣

この世紀のはじめ、黑人亂をなして白人を害せしとき、セント、ドミンゴ島の佛領、ボオル、トオ、