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 私の見るところでは、この提案は、ちやうどダーヰンの進󠄃化󠄃說が生物學に與へたと同樣の效果を、史󠄃學のうへに與ふべきもので、マルクスと私と二人ともに、一八四五年以前󠄃において、漸次󠄄それに近󠄃づきつつあつたのである。最初、私がひとり、いかなる程度までそれに向つて進󠄃んでゐたかは、私の著󠄃『一八四四年における英國勞働階級の狀態』において、最もよく見ることが出來る。しかるに一八四五年の春、私が再びブリュッセルでマルクスと會つた時、彼は旣󠄂にそれを完成して、殆んど私が今ここに記󠄂してゐるやうな明晰な字句で、それを私に提示したのであつた。

 私はここに、一八七二年のドイツ版に付した我々の合作の序文󠄃の中から、左の一節󠄅を引用する。

『最近󠄃二十五年間において、社󠄃會の狀態は大いに變化󠄃してゐるけれども、この「宣言」の中に開陳されてある根本の趣旨は、大體において今もなほ正確で