る世閒に打ち勝ちたる勇士、我は此の人を婆羅門と云ふ。
419
總て有情の死と生とを知り、執着の念なき善趣の智者、我は之を婆羅門と呼ぶ。
420
諸天も、乾闥婆も、人閒も、其の行く道を窺ひ知るなし、此の漏盡の阿羅漢、我は之を婆羅門と呼ぶ。
421
彼の過去にも、未來にも、將た中閒にも、己の有とすべきものなし、我有なく取著なき、我は之を婆羅門と呼ぶ。
422
最雄、最勝の人、勇士、大仙、勝者、無欲にして學を訖りたる智者、我は之を婆羅門と呼ぶ。
423
宿世を知り天界と惡趣とを見、更に生の滿盡に到り、智の極に達したる牟尼にして、總て果すべきを果したる人、我は之を婆羅門と呼ぶ。
(1) 此の偈以下、偈每に「婆羅門」の語を用ふ、是れ印度四姓中の婆羅門を指すにあらずして、煩惱を滅し惡業を除きたる人の義に用ひたるなり。 (2) 涅槃の謂なり。 (3) 法句經註解書には、彼岸此岸、彼此岸を、內の六入、外の六入、內外の六入なりと解し、アンデルゼンは、來生、此生、及び全一生なりと註し、而も疑を存せり。 (4) 阿羅漢果を云ふ。 (5) 愛欲等の諸煩惱。 (6) 以下四二三偈まで諸經要集六二〇-六四七偈參照。 (7) 生のために、母のために婆羅門と呼ぶことなし。 (8) 所謂四姓中の婆羅門族に生れたるものは世尊を呼ぶに bho (爾又は友)の語を以てせり、故に彼を稱して bhovâdi (佛を呼ぶに爾の語を以てするもの)と名けたり。 (9) 紐は忿に譬へ、緖は愛に、索は六十二見に、梁木は之を無明に譬ふ、而して智者とは四諦の理を知りたる人の謂なり。
國譯法句經終