攝する所ある比丘は諸の苦痛より脫る。
362
手を防護し、足を防護し、語を防護するは防護するの上なり、內に樂あり、定あり、獨居して、足ることを知るもの、彼を〔人は〕比丘と呼ぶ。
363
比丘の、口を防護し、適度に語りて、(1)調戯ならざる彼れ、〔若し〕法と義とを明さば、其の說く所は、甘味なり。
364
法を樂園とし、法を樂み、法を思惟し、法を憶念する比丘は、正法より退墮することなし。
365
己の得る所は之を輕んぜざれ、他の〔得る所は之を〕羨まざれ。他の〔得る所を〕羨む比丘は安定を得ることなし。
366
得る所少しと雖も、比丘若し之を輕んぜざれば、諸天は、此の(2)淨活命、不屈撓〔の人〕を讃歎す。
367
名色の上に於て、總て我有の念なく、又(3)其の消滅をも憂とせざれば、人は彼を比丘と呼ぶ。
368
比丘の慈悲に住し、佛の敎を悦べるものは、靜穩の處、諸行の息止、安樂を得ん。
369
比丘、此の(4)船を戽め、戽まば汝の〔船〕は疾く走らん、貪欲と瞋恚とを棄てて、其より汝は、涅槃に達せん。
370
(5)五を斷ち、(6)五を棄て、更に(7)五を修せよ、(8)五著を越えたる比丘は、暴流を渡りたる〔人〕と稱せらる。
371
比丘、禪思せよ、怠惰なる勿れ、心を諸欲に迷はしむる勿れ、怠惰にして〔地獄に墮ち熱〕鐵丸を嚥む勿れ、〔獄火に〕燒かれて「苦し」と叫ぶこと勿れ。
372
智なきものに禪なく、禪なきものには智なし、若し人に禪と智とあらば、彼は涅槃に近づけるなり。
373
空屋に入りて、心を寂靜にしたる比丘、正しく法を觀