の選ぶ所に隨ひ、隨所に恭敬せらる。
304
善人は遠く現はるること、雪山の如く、不善者は世に顯はるることなき、猶ほ夜陰に投ぜる箭の如し。
305
獨坐・獨臥・獨經行して倦むことなく、獨り己を制して林邊に樂しむものたれ。
(1) 「愛は人を生む」と云ふ句よりして愛を母と云ひ、「我は某なる王の子、某なる大臣の子なり」と云ひ、父によりて我慢の心起る,よりて我慢を父と云ふ、兩刹利王とは斷見常見の二、國土とは十二處、而して依屬とは十二處附隨の諸煩惱を云ふ。 (2) 兩婆羅門王とは斷常の二見、虎類とは此處にては疑藎を指すと註解書に釋せり。 (3) 瞿曇又は喬答摩は釋迦族の姓なるが故に、釋尊を時には瞿曇佛と呼びたり。
泥犂品第二十二
306
(1)非事を語るものは泥犂に入る、爲して爲さずと云ふものも亦、此等兩者の死後は同じ、劣業の人、來世に〔ありては同じ〕。
307
邪業にして、自制心なく、首に黃衣を纏へる衆多の人、此等邪業の人は邪業の爲に泥犂に墮つ。
308
戒を破り、自制心なくして(2)信施を受くるよりは、熱して火熖に似たる鐵丸を嚥むぞ勝れる。
309
人の怠惰にして、他の婦を娛むるものには、四事來る、不善業を得て、安臥を得ず、第三に毀訾、第四に泥犂。
310
不善業を得、其の趣く所は惡趣、恐れ恐れたるものの樂は尠く、王は之に重罰を加ふ、されば人、他の婦を娛まざれ。
311
(3)功祚草の葉は、之を攫むこと惡しければ、手を切る、沙門の道も、之を行うて宜しからざれば、泥犂に導く。
312
放逸なる行爲、汚れたる禁戒、猶豫して梵行を行ふ、之は共に大果を齎すものにあらず。